昭和49年11月03日 朝の御理解
御理解 第52節
「信心する者は驚いてはならぬ。これから後、どのような大きな事ができてきても、 少しも驚くことはならぬぞ。」
驚く事はならぬと言うて、教えておられますけれども。なかなかとっさの時等は、矢張り驚きますね。どの様な事が、例えば起きてきましても、起きましてもこちらに、信心の帯が、しっかり出来ておる時。いうならば勿論神様のお働きに、一分一厘間違いのない働きの中に、一切が起きてくる事だと言う様な事を、理屈の上では分かっておりますし、また様々な体験から、それを日頃思うております。ですから分かっておるはずですけれども、咄嗟の時になりますと驚きますですね。
先日孫の恵城が何かもう、火が付くように泣いておりますもん。どうしてじゃろかち言うちから、私が言いましたら、私の所へ連れてきました。そしたらその子供がおもちゃの蛙を見せたそうです。そしたらもうしいて泣くんですね。それから私の所へ連れてきましたから、泣きよるのをまた思い出したようにしてまた泣くんですよ。やっぱりお爺ちゃんの子だなと言うて、みんなが笑うんです。私は本当に怖いものちはないのですけれども、あの、蛙だけが怖いんです。怖いというか気持ちが悪いと言うか、特にあのわくどち言うのがおりましょう。
私は椛目のお広前の時分に、夏でしたがもう御結界を下がらせて頂いて、それからお湯を頂いて湯上りでも着替えてです。あちらのお広前はご承知でない方も、沢山ありましょうけれども、お広前の横にこう手のひらばかりのお庭がございました。そこへ涼むのでちょっと出た途端に、小さい小ガマがおるんですよ。もう見た瞬間にその自分ながら、どうしてあげな声が出たじゃろかと言う様な声が出て、それこそ二転三転立てしにこうやって、お広間さん転がったです私は。私は驚きました本当。
もうやっぱとっさの時ですからね。それでもう皆んなびっくりしてどうしなさったですかち言うて、やってくると言う様なそれはも、本当にそれはもう奇妙な声をやっぱ出しとります「はあ」とやっぱ言うとるです。それはああたもう出た途端にこっち向いてこうやって座ったるでしょうが。もう咄嗟そしてですねあんなふうに転ばれると言う事も、私はとにかく立てしに転んでですね、お広間の真ん中までこうやって来とる。
そしてからねまた今度は、度胸をすえてですよ。こうじっと見よるとね、中々可愛らしいもんです、目元なんか可愛らしい顔をしとるですけどもね。とっさにやられると、そういう事になる。そればやっぱり私の孫が受けついどるじゃろち言うて、笑ったことでした。蛙見ただけで、あぁた泣き止まんとです。まぁめぐりちゃ恐ろしいなち言うてから、笑って話したことでしたけれどね。
昨日は四時半の御祈念を終わらせていただいて、下がらせて頂きましたら、勝手のほうで、大きな毛ガニの料理をやってました。お月次祭に大きな、北海道あれは特産でしょうかね。毛ガニ大きなカニを二匹、月次祭にお供えさせて頂いております。私がそれをお取次ぎさせて貰う時に、嘉朗さんが丁度その日に参ってまいりまして、こう下げてきましたもん。妙なもんを持って来たねち言うて。それがあぁた途中で交通事故かなにか、あっとっとじゃろかと思うてから、自動車止めました所がトラックがですね、途中で止まって、そのトラックの中から。
どんどんその毛ガニの大安売りをしよったち。だからあんまり安かったけんで、買いましたからまあお供えち言うわけでもないばってん、まあ持ってきて夫婦で参って来てそげん言いますもん。そだけどこら食べられるとじゃあるとのち私が言いましたら、もう冷凍して冷たいです。そんならお月次祭にお供えさせて頂いたけれども、昨日下がらせて頂いてそん毛ガニを料理してますからね。
それも四、五年前に田主丸の小野先生が、北海道に参りましてね。毛ガニのお土産を持ってきたんです。そしてそん時に私のほうは全然、当たらなかったですけれども、小野先生所の一家は、全部中毒をおこしたんです。それで直ぐ電話が架かってきてから「昨日持って行ったカニをもう召し上がっていただいたじゃろか」「頂きましたよち」「どうもなかったでしょうか。」「どうもなかったよ」「いや私のほうで、家族中が中毒を起しておりますから、もし召しあがっとらんなら、食べて頂かんごと。」と言うてその、電話が架かってきたんです。
そう言う事が前にあってましたもんですからね。気色の悪かもんば料理しよるな。今夜はあれば食べなんばいなと思うてね。いやそら本当ですよ。それからねお風呂に直ぐ入りますから、お風呂の横のみんなが使う便所にやらせて頂いた。小便させてもらいよりました。でそのカニば食べらんばいなと思いよりましたら、小便の前にタバコの吸殻を捨てないで下さいというあれが出てましょうが。
あのね私がそのカニば、今日は食べんならんばいなと。もう何ならまたほかんもんに食べさせんなら、捨てたっちゃ良かと言う様な心持だったわけです。そしたら捨てないで下さいと言うとこを頂きました。私がご飯の時に小便まりまり、「ほんに感動した」ち言うきん「なしですか」ち言うた。ほんなこてですきん。もうあの小便まりまり、私が感動しました。捨てないで下さいち。そこんとこを頂くとです。
だからもちろん捨てもしませんし、綺麗に安心して頂きますからね。その美味しくもあったんですけれども。例えば、そういう時でもです。よしそれが中毒起す様な事があってもです。神様が捨てるなと仰ったから、捨てずに頂いたというところに、もう腹が決まっとる。もう腹がせくとかせかない、そこはもう神様の世界であって、こっちの世界じゃないんだと言う様な考えですね。
まぁだ若先生が十一、二の時だったでしょう。その日はね朝からとにかく御結界に座っておって何かね、それこそ異様なまでに、何かこう湧き上がってくるんですね、ファイトが。そして例えばどう言う事が起こってもです。それこそ貧乏揺るぎでもする段じゃない、いや致しませんと言う様な心が湧いて来るんですよ。あれは信心を本当にさせて頂いておりますとね。そういう心の湧いて来る様な働きがある時には、やっぱりびっくりするような事が起こる前の、前知らせであっただろうと思うのです。
それこそどう言う事が起こって参りましても、貧乏揺るぎも致しませんと言った様な思いで御結界奉仕をしておる時に、もうそれこそけたたましい声が、表でしよります。椛目のお参りになります、直ぐ裏が篠原さんのお宅です。都合でその子供達が竹をこう、とんぎらかしたやつをね。こうぴんと跳ねる遊びがその時分に流行ってた。まぁ五六人で遊んでいたんです。それが何と若先生が目に付き刺さったわけですよ。
それでそこにおんなはった、小母しゃま達がびっくりしてから、篠原さんのお父さんを呼びに来なさった。で篠原さんのお父さんが、こう引き抜きなさる時に、目の玉が外へこう出たんです。出てしもうたそれをかき抱いてから、その先生お願いますと言うてから、御結界へ連れてきた。もう必死で泣いてますし、目はこう引っくり返ってしまってます。所がです。さぁどんな事があっても、貧乏揺るぎだもするこつじゃありませんという時ですから、もう本当にこれから先も心が動きませんでした。
ようし痛くないようにお願いするぞと言うて、家内が勝彦を二階に連れて上がりましたら、直ぐ泣き止みましたもん。それから降りてきてから申しますのに、不思議なことに直ぐ眠ってしまったんです。それで近所の子供達の親達ですね。いわゆる篠原さん達も皆んな見えて頂いてから、直ぐお医者に連れて行って下さいち言うて見えましたけども、「もうご心配いりませんが」ち「もうご心配して頂く事は要りませんよ」と言うて、二階に休ませて頂いておりましたが。
晩にはねこれが治まってから二、三日はもうそれこそ血を揉み込んだように、真っ赤にしておりました。けれどもそのままおかげを頂きました。まあだ勝彦もそういう小さい頃でしたから、今でもやっぱ覚えて時々その事を話しますけれどね。あん時に私がうろたえておったらね、どう言う事になっとったか。それこそ失明しとったかも知れないと、私は本当にびっくりしました。目ん玉に竹の刺さったとば、引き抜いた途端にこっちがひっくり返ってこう出とった。そう言う事が御座いましたよ。
だからね信心するものは、驚いてはならぬと仰せられますけれども、さあとっさの時には、私がそれこそただわくど見たばかりで、二転三転してから、それも奇妙な声を出して、「ひゃ」と言うてその、言うとるけんもうびっくり。自分なあの時分はあの住まいが二階でしたからねお広前は。だからみんな二階から降りてきましたもん。そしたらなんのそんわくどのおったち言うきん、もうみんなが大笑いしましたけれどね。それてちゃです。そういうほんなら私にとっては、怖いわくどでもです。
山本に近藤さんというお宅がありました。あちらに今おられませんけれども、山本地区の共励会をあそこでしてましたから、あそこには有名なわくどがおったです。もう一升枡ぐらい大きいです。それが空の泉水の中に、何時もちゃんと住まってるわけです。もう足が上がられんもんじゃから、そのまま放ってある空泉水の中に。それで行っとると何時も出てきてるです。便所の所からこう行かんなんとに。それでもうそげん時には、度胸をすえてね腹据えてから、じっとお縁に座ってから。
親先生はどうして好かんとか、嫌いとか言いなさって、そげんして見なさらんでんち言うばってん、やっぱ度胸を作っとかんといかんからと思うて。まああそこへ行くと、必ずじっと、私は泉水のこのわくど、こう睨み合いしたようにしてですね。そして見よると可愛らしいですあれはやはり。けれどもとっさに出てこられたら、それこそ私は小さい青蛙でもびっくりします。それでもう皆さんここには青蛙が沢山おりますからね。
マルショウの方たちがみんな奉仕してから、取ってさせて頂きます。私の栄四郎なんかは、私が蛙が怖いことがわかっとるものですからね、わざわざ取ってくるんですよ、他所から。そしてからこれば一円づつで買うてくれち言うちから、(一同笑い)買わんなら、泉水の所の、手洗いの所にこう放すち言う。私を脅かすわけですよ。と言う位に私は蛙嫌いは有名なんですけれどもね。
それとてもそれば度胸据えて見ておると怖くない。だから問題は度胸据えとかなきゃならないと言う事ですよ。信心させて頂く者は、何時も度胸据えとかにゃいけん。本当にどう言う事が起こっても。まぁ二十五年のお取次ぎをさして頂いて、様々な事がございましたが、私が一遍驚いた事はね。中島の上滝さんという、肋流結核で死ぬ所をおかげを受けた方がありました。私が何時も上滝さんに、あんたは見よってごらん、違わんごとおかげ落とす手本になるよち手本も色々ある。
けれども本当にそりゃ、一年間余りというものは、お知らせの頂きづくめでした。大和さんのお導きの親にもなります。あちらのお父さんを導かれた方ですから。朝まだ休んでおりました。そしたら大和さんのお父さんが、まだ御祈念前に参って見えまして、親先生、上滝さんが亡くなられましたと言うて、お届けに見えました。私はそん時ばっかりは、私は驚きました。私はもう御神前に出る前にですね。まずゆかたのそのまま便所に飛び込みました。
そして便所の中で。心を落ち付けてそれから、御神前に出ましたもう、余りにもびっくりしてとにかくあぁた、西鉄に勤めておられましたけれども。もう復職が出来る位に、おかげを頂いておりました方でしたからね。まるまるといい男でしたが、そらもう本当に素晴らしいおかげを受けて、素晴らしいおかげを落とした方です。だから私がもうやっぱ、言い当てとった訳ですね。あなた見よってご覧、おかげ落しの手本になるよと、私が言うておりました。その時なんかでもですね。
丁度あれは、麦蒔きか取入れか田植えやったかね。田植えば今日から始むるから、奥さんがね、久しゅう御無礼しとるから田植えを始めるけん、今日はお届けに参ろうと言うて、一緒に休んどっとが、あの立ち上がった時ですね。こう休んどるとこさん、そげなこつ言わんでんいいじゃないかと言うちから、手ば引っ張ったつと息抜けたつが一緒だったんです。それは上滝さんの奥さんが話すんですから、間違いない事です。もう良かじゃないかと言って手を引っ張ったのと、息抜けたのが一緒だった。
それ前に何回も何回もそれはそげんなる迄、一年間の間に随分お知らせも頂いたり、お気付けも頂いたり致しましたね。あの時分のおじさん方はよう知ってられる通り、私はそん時だけは驚きました。もう本当に御神前に出らずに、つうっと私は聞いたなりお便所に入りました。けれどもそれからこっち、様々な事がございましたけれども。そりゃもう本当に考えてみると、先日も私と綾部さんと、久富繁雄さんと何か、茶の間ででしたけれど、お話させて頂いてほんに私が、四年半になりますが。
様々な事が御座いましたが、本当に親先生が居んなさらんならとてもほんにどげんなっとったか解らんという話が出たんです。そしてほんにあげなこつもあったな、あげなこつもあったなち言うて色々話させて頂いてですね。もうそれこそ白羽の羽の下を潜る様な事もあったです。けれども本当に信心を頂いておりますおかげでです。おかげで本当に、どんな場合であっても、びくともせずにおかげを頂いてきたと言う事は、信心しておる者は驚いてはならんと仰る教えが、本当に身に付いておる様な感じが致します。
そして最近ではです。もうそのままよというどん腹が、いつの場合でも直ぐ即出来ると言う事もございます。そこで皆さん皆さんの上にもです。いつどの様な事が起きてくるやら分かりません。時にね、驚いたらおかげになりません。いや、おかげにならんというよりも、おかげが頂き難いです。そういう時に矢張りどっこいとそれを受け止めさせて頂く信心がなされなければいけません。
桂先生のみ教えの中に「親に孝行をして神に不幸をし親に不幸をしておる氏子がある。神に孝行をして、親に不幸をしてそして後に親に孝行しておる氏子がある」意味が分かるでしょうか具体的に言うと私が一生懸命人が信心ノボセと言われとる時分にです。もうそれこそ私のほうの父が、不平不足を言うた事の無い人でしたけれども、母と二人で私にです。あんた程しに例えば商売をさせりゃ一人前の商売が出来る男がね。
何なら破れ服着て破れカバン下げて、毎日毎日どこどこにお話行かんならんとか、やはり、今でいうなら示現活動なんです。家のことはどうなるかと。あんたがこういうふうな、私は信心は止めろとは言わんばってんが、商売もさせて貰い仕事もさせて頂いてから、したらどうかと。あんたが今のごたる状態なら、私段お四国参りせにゃならんと言うて涙をこぼしました父が初めてでした。
所がですそういう時に、私は心のそこから可笑しくなったです。もう可笑しゅうして可笑しゅうして応えなかったです。今に見よりなさいちゃんとそれこそびっくりするごたるおかげ頂くがのという気持ちが心の中にあったです。だから黙って聞くだけ聞かして頂いて、さあさ御祈念御祈念と言うて、親子三人で御祈念をさせて頂くと、神様からいろいろと御理解を頂きました。その御理解をまた両親に話させて頂いて、さあ一頑張りと言った様な事です。
これなんかは、親がそれこそ首に袋をかけるとまで言うたんです私に。お四国さん参りと言う事はそう言う事でしょう。あんたがこういうふうな状態ならば、私共は四国参りでもせんならん。けれどもそれを聞いとってからですね。私の心の中にはそのモリモリとした元気が湧くじゃなくて、それが可笑しかったです。分からん者ばっかりはしようがない。今に見よりなさい。という気持ちですから、もう可笑しゅうして、可笑しゅうして、たまらなかった。
そるきんもうあんたばっかりは、こげな大事なこつば言うて、笑うちからち言うちから、両親が申します。まあとにかく御祈念と言うて、御祈念をさせて頂いた後にお話。これなんかはそういう毎日でしたから、とにかく家の息子に言い分はなかばってん、金光様にノボセてしまうとが、玉に瑕というふうに思うておったでしょう。これなんかは親不孝です。親が参るなというけんでほんなら参らんと言うて、親に孝行しておったらです。最後に、神に不孝をすることになる。
親に不孝をして神に孝行をした。そして後に親に孝行をしたと言う事に、現在ではなるのではないでしょうか。九十幾つまで長生きのおかげを頂いて、おかげ頂いて病気もしないで、しかも両親の部屋に参りますと、ほんにこここそが極楽部屋じゃろかと言われる位に、おかげを頂いておる。神様が親孝行させて下さる親孝行でなからにゃいかんのです。そういう意味なんです。
「親に不孝をして神に孝行をして、その後に神に孝行をしておる。」「親に孝行をして、神に不孝をしそして親に不孝をしておる氏子がある。」と仰る。同じ信心をさせて頂いておりましても、神様を第一主義と言った様な信心からでなからなければ、私は今日は皆さんに聞いて頂く様な、度胸の据わった信心は出来ないと思います。そして私が昨日の、あのカニば食べんならんという時にです。もう食べんほうが良うどっもなかじゃろか、お下がりじゃき勿体ない事は勿体ないけれど、中毒どん起こしちゃならん。
けれども捨てないで下さいというお知らせを頂いた時にです。安心して頂けるそして例えば神様が捨てないで下さいと言うて下さる、その事を頂いてそれを頂いて食べてです。よし中毒を起そうが腹が痛かろうがです。神様からそう言われてしたのだからもうそれから先は、神様にお任せできるという心の状態。そういう心の状態を私は鍛えていくと言うて悪い事を言うて、まず先を楽しめと仰せられますから、今日どげなこつがあるか分からんばってん、驚いちゃならんと言った様な事ではいけんのです。
今日は交通事故に合うかも知れんばってん。合うたっちゃびくともせんぞというごたる風に言いよると、ほんなごつ交通事故に合う様な事になるです。悪い事を言うて待つからです。悪い事を言うて待つのじゃない。そしていつでもです。どう言う事が起きて参りましても、驚かんですむ信心。それには矢張り心を鍛えておかなければならんと同時に、信心の焦点がです。いつも私を中心にした信心からは生まれないという事。言うならおかげを中心にした信心からは生まれないと言う事。
いつも神様本意神様が中心、そういう信心になっておればです。神様本位の信心をしておればです。氏子が神様任せなら、神様が氏子任せになると仰せられますからという信心が身に付いてくるです。だからどう言う事があっても日頃です。神様を中心にしての信心なのですから、神様本意の信心なのですから、神様が私本位で働いて下さることを確信しての日々だから、びくともせんで済む、驚かんですむ信心が出来てくると思うですね。
どうぞ。